第18回 「しんどいからクルマ」は駄目? -徐脈のお話-

「先生、このごろちょっとしんどいんだよね…。」

「虫さされが痒くて」とおっしゃって受診されたSさんは、70歳台の男性です。自分で会社を興して、自動車を乗り回してばりばり仕事をしています。今日も、仕事の途中で寄って下さいました。診察が終わって、私がカルテを書いている間、看護師さんに軟膏を塗ってもらいながら、つぶやくようにおっしゃったのです。
体重が減ったようでもないし、顔色も特に悪くないのに、どうしたのだろう。念のためにしんどさの理由を調べてみようと思いました。
「そうですか。しんどいのなら、ちょっとそちらに横になってみて下さい。」
と提案して、別室に横になっていていただきました。看護師さんに、「バイタル*をとっておいてね!」と頼んで、他の患者さんを診ていると…看護師さんがいつもと違う、とまどったような声で、少し青い顔で言いにきました。
「先生、おかしいです。」
「何が、おかしいの?」
「脈が38しかありません!」(一分間の脈拍が38回という意味)
確かに、手首の動脈を触って実際の脈をとってみると… 力強くはあるけれど遅い。徐脈です。しばらく触れていても、脈拍が増えてくる気配はありません。心電図をとってみると、P波の間隔自体が長くなっています。P波というのは、心電図に描かれる波のひとつをさし、右心房にある洞結節の活動を示します。洞結節は、外から何の刺激を受けずとも、自分でリズムをつくりだし、心臓のリズムをとる「指揮者」のような場所です。ここからの電気信号が房室結節を経由して心室へ、特殊心筋という、いわば情報ハイウェイといえる経路を通って伝わり、心室が収縮して血液を送り出すというわけです。ところが、Sさんの洞結節は元気をなくしており、丁度良いリズムを作ることができなくなっているのです。これ以上遅くなると、脳への血流が許容範囲を下回ってしまい、気を失うことになりかねません。

Sさんには、
「脈がかなり遅くなっています。心臓の拍動リズムをとっている場所が、ちょっと疲れているのかもしれません。このままリズムがもっと遅くなると、意識を失いかねません。心臓の専門家に調べてもらいましょう。場合によっては、ペースメーカーを入れて、リズムよい脈拍を取り戻した方が良いと思います。」とお伝えしました。
Sさんは、びっくりされましたが、自分の脈に触れてみて、
「確かに遅いねえ。普通は60はあるよねえ。もともとちょっと遅いって言われてたんだけどね。」と納得されました。

幸い、近所に救急対応してくれるO病院があり、今までも高度の徐脈でペースメーカーの適応という患者さんを、何人かお送りしたことがあります。その都度、迅速な対応をして下さいました。今回も、電話で患者さんの状態を説明したところ、
「ベッドを確保しました。すぐに来院していただいて下さい。」との心強いお言葉…。
Sさんも、本当は「ちょっと」どころではなく、つらかったのだと思います。O病院に直行してそのまま入院することを、すぐに納得して下さいました。
看護師さんが、
「では、Sさん、タクシーを呼びますのでしばらくお待ちください。」と言うと、
「えー、いいよ。いいよ。ここまで車で来たんだし、自分で車で行くから!」と、おっしゃるではありませんか。スタッフも私もびっくり!!
「それは絶対に駄目です。もしも、車を運転している間に、脈がぐーっと遅くなって、意識が遠のいたらどうするんですか!万が一事故を起こして、他の人を巻き込んだりしたら大変です!そうなると、私たちも責任を取らねばならなくなります。お願いですから車は置いていってください。後から、どなたかに取りに来ていただいて下さい。」と、皆でお願いしました。
「えーっ。そうなの?…じゃあ、車は置いていくか…。」(よかった、納得していただけて!)
「では、Sさん、O病院で先生が待っています。良く診てもらってください。処置をすれば、すぐに、お楽になるはずです。」と申し上げて送り出しました。

数日後、病院からお返事が来て、Sさんにその日のうちにペースメーカーを入れたこと、症状も軽快したという報告でしたので、スタッフともども「良かったね。」と安心しておりました。

Sさんは、それからしばらくいらっしゃいませんでしたが、半年ほど経った時、
「今日は診察じゃなくて報告に来た。」と例によって仕事の合間を縫って立ち寄って下さいました。
「もう快調だよ。仕事もばりばり!それから、これを見てもらいたくって!」
とやおらシャツを脱ぎだし、左胸の鎖骨のやや下にできた円形の出っ張りを私たちに見せてくださいました。これは、皮下に埋め込んだペースメーカーです。ここから心臓にむかって刺激用のリードが伸びているのです。
「ね。傷もきれいに治ってるでしょう?入れてくれた先生も、今までやった中で、一、二を争うほどきれいにうまくできたって言ってたよ!完璧だって!」
「あの時、病院に行かせてくれて、ありがとねー!」と、おいしいお菓子を置いていって下さいました。(いやいや、「しんどい」と言って、私たちの注意を喚起してくれたのは、Sさんご自身でしょう!!)「ありがとう」と言いたいのは、こちらの方です。

患者さんに何か症状があって、紹介状を書いて病院にお送りすると、(たいていの場合は)その病院から、転機の報告があります。患者さんを送り出した後、私たちは「どうなったかなあ」と心配しているので、治癒・軽快の報告があると、スタッフ皆で「良かったね!」と喜び合うものです。送り出した私たちには、それで十分。患者さんの健康に少しでも貢献できたと感じられてシアワセなのですが、Sさんのように「ただ報告だけ」でも、元気なお顔を見せて下さると、本当にうれしいものです。

*バイタル:体温、血圧、呼吸数など身体の状態を知る基本的な数値のこと。これらの数値を得ることを、「バイタルをとる」といいます。

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