第07回 胸かおなかの痛みか?

「うーん。冠動脈の狭窄は大したこと無いんだよね・・・。」

心臓カテーテル検査を行った直後の循環器専門医の、首をひねりながらのコメントです。患者さんは、外来に胸痛を訴えて受診された方で、狭心症を疑われ、心臓カテーテル検査等による精査を目的として入院していました。専門医は、患者さんの訴える症状の重さや頻度と、検査所見が合わないと言っていたのです。

検査から病棟に帰ってきた患者さんに、検査結果を説明した後、もう少し詳しく聞いてみようと思いました。
「でも、やっぱりちょっと動くと痛むんですよね。」と言うと、
「うん。そうなんだよね。このヘンが…しょっちゅうね。」と、ちょうど胸骨の下のあたりを、を押さえます。
「運動したとき以外に、痛むことはありませんか?」
「うーん。食事をした後でも痛むような気がするなあ。」
(あれ? 食後にこのあたりが痛むとなると、胃の痛みの可能性もあるんだけど…。)
「食事の後でもやっぱり、同じ部分が痛いんですか?」
「うーん。同じようなところかなあ…。良くわかんないなあ…。」
「運動の後と食後と痛み方が違うということはありませんか?」
「そう言われると、そうかもしれないね…。」
「そうすると、運動の後の痛みと、食事の後の痛みと、二種類の痛みがあるということでしょうか?」 
「そういう気もするなあ。動いた後と食後と痛み方が違う気もする・・・。」
「念のために、胃の内視鏡検査をしてみましょうか? 潰瘍ができているかもしませんし…。」
「そうだなあ。せっかく入院したんだし、親父も胃癌だったから、念のためにしてもらおうかなあ。お願いします。」

というわけで、さっそく胃の内視鏡検査をしてみたところ、土手のように盛り上がった辺縁を持つ潰瘍が見つかりました。Borrman(ボールマン) 3型の進行胃癌でした。患者さんは、外科に転科し、翌週には胃の全摘術を受けて、元気に退院されていきました。

当時と比べ、胃癌の早期診断もいろいろと進歩しました。ヘリコバクター・ピロリ菌という細菌感染と発癌の関係も濃厚であることがわかってきました。

ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)は、1980年代に胃炎の患者さんから検出・培養された菌で、そのため「新興感染症」の起因菌に分類されるものです。胃潰瘍や十二指腸潰瘍を起こすため、このような潰瘍があって、ピロリ菌が陽性の場合には、抗生物質や胃酸の分泌を抑えるプロトンポンプインヒビターという薬などを用いて積極的に除菌治療することが現在の標準的な手順となっています。

また、特殊なリンパ腫との因果関係もわかっており、この場合も除菌することになっています。さらには、一見感染症との関係が考えにくい血小板が減る血液の病気(特発性血小板減少性紫斑病)の一部もピロリ菌の除菌治療をすると治癒することが知られています。

加えて、ピロリ菌は、胃癌をつくりやすい素地となる胃の慢性炎症を引き起こすと言われています。日本人の40歳以上では60%以上(!)の人がピロリ菌を保菌しているということです。

ピロリ菌に感染しているかどうかは、内視鏡で組織を採ってきて調べること以外にも、血液中の抗体を調べたり、特殊な試薬を飲んで呼気を分析すること(尿素呼気試験)で、比較的手軽に知ることができます。もっとも、この治療に良く使われるクラリスロマイシンという抗生物質に耐性を持つ菌も増えているので、適切な治療には感受性検査も必要になってきました。

胃癌ができやすい胃粘膜(慢性萎縮性胃炎)は、特有な症状を起こさないので、臨床症状のみから診断するのは難しいのですが、この粘膜になっているかどうかを、血液検査で調べることができるようになりました。まだ、保険適応はありませんが、血中ペプシノーゲン値を調べると、そういう胃粘膜になっているかどうか、スクリーニングすることができます。早期胃癌の発見率はX線法よりも優れているとも言われています。ペプシノーゲンにはIとIIがあり、慢性萎縮性胃炎ではこの比が低下するので、この2種類のペプシノーゲンを測定し、比を調べることで診断をつけることができるというわけです。バリウムをどうしても飲みたくないという理由から胃癌の検診を受けたくない人でも、ペプシノーゲンの検査は血液をとるだけなので、受けやすいのではないでしょうか。

狭心症の痛みは、必ず胸骨の裏側あたりに起こるかと言うと、そうでもありません。このケースとは逆におなかの痛みだと思っていたら狭心症だったということや、ひどい肩こりだと思っていたら狭心症だったということもあります。ご紹介したケースでは、当初、患者さん本人も外来の医師も狭心症の痛みと思っていましたが、狭心症の痛み(胸痛)と胃癌から来ている痛み(おなかの痛み)が同じような部位に重なっていて、より深刻だったのは胃癌から来ているほうの痛みだったというわけです。症状の詳しい分析を患者さんとともに行うことの大切さを痛感した経験でした。

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